プロとして働くということ・あり方・環境

プロとして働くということ・あり方・環境

先日、ある一人の女性に働き方を変えるというお話をしていただいた。
彼女は勤勉に、情熱的に、プレッシャーに立ち向かい少しその環境に疲れてしまったのか…とも思えた
そこにはある種、現代の女性の働き方・地方の仕事のあり方の苦悩の影が見て取れた。
働き方改革、女性の社会進出などこの手の問題定義には昨今、事欠かない。それは一人の女性の働き方をモデルにお話を進めるにはあまりにも乱暴で、少し偏った意見になってしまうのかもしれないがどうかご容赦いただきたい。

その女性は大切なゲストの一人で、前述した通りお仕事に対しての勤勉さ、情熱において尊敬に値する方ではないかと思っている。個人のプライバシーもあるため彼女の詳細についてはここで触れないが、技術職でありサービス業(僕の認識としては)として自分の働く場所を持ち、勤勉にとんがってお仕事に取り組む姿勢にはある種の共感も覚えていた。
彼女には家族もあり、親として、妻として、また親戚含め多くのコミニティを一生懸命守り大切に過ごしている姿は僕などが到底およばない人だと思う。
ただ…今回に限ってはその勤勉さが、真面目さが、情熱が空回りしてしまったのか!?お仕事にひたむきになり続けることで家族との距離感やバランスが望んでいるものではなくなってしまった…そんな風に聞こえた。

きっとこのようなことに悩んでいる世の中の女性は、いや最近では男性も多いのではないか…
それは東京だから、都会だから、地方だからなんていう理由のはさむ余地のない大きな働き方の問題。
でも…残念ながら僕は小さな地方都市に住んでいる。なので一方的に僕の観点から物事を見させていただくことにする。

都市部にいると時代性の変化に対応し、技術を磨き、意識的にプロである方々を見つけることが難しくない。またそのコミニティに身を委ねることはプロとしては心地よいことだ。それはそれで偏ったバランス感覚になる側面はのぞいてだが…
だが僕のいるここはすごく保守的で(いや全国的にも有数の、保守王国なんて言われてるくらい)ある種、特別な排他感がただよっている。変わらぬことを是とし、変化や刺激をあまり好まない地方…
(もちろん全ての人がそうであるとは言い切れないが、多くのシーンでその空気感の壁にあたる)
必ずしも変わることがすべて良いことではない。古きもの・文化を大切にすることはとても価値のあることだと個人的には思っている。ただそれは時間軸において色々な時代性と共存・適合させていく努力が必要なのではないか?その努力をせずに変化を怠慢に受け入れない姿勢にはここ数年嫌悪感すら覚えている。
ここに存在するこの空気感の壁は間違いなくプロとしてのひたむきな努力というものを拒絶する(その恩恵のみを関係性がゆえに受けるもの以外は)
または惰性という都合のいい理由を押し付けてくる
「このくらいでいいだろ…」と…
それが故にか、何かをなす人、変化に適応できる人など今ここに必要な力を持った人々は次々に別の場所に行ってしまう。社会というコミニティにおいて、それを形成する一部のカテゴリー(考え方・能力を有する人)の人間を欠くことはバランス感覚的にも、すごく危険ではないかと思ってしまう。
そしてそこには一部の考え方に偏った社会が出来上がる、保守的という言葉に言い換えられる社会に。

きっと前述した彼女の周りにも、彼女がプロとしてあるべき努力を受け入れられない空気感が存在したのではないか?それが彼女に、ここでのあるべき家族像や母親像など(今の時代において到底すべてを同時に為し得ない)「古き良き時代」の美化された偶像をすべて完璧にこなさなければならないプレッシャーを与えたのではないか?
過去と現在とでは本来、社会・人間性など個人を取り巻く環境は著しく違う。その中でこの場所の空気感が変わらず押し付けてくる偶像は少々息苦しい。
これは彼女の家族などを批判するものではない。家族もまたその空気感に押しつぶされそうだったのかもしれない。家族とはこうあるべきだと…
願わくば、彼女の属するすべて(直接であれ間接であれ)の社会的コミニティがもう少しずつサポートする姿勢を、変化を許容する努力をできなかったものかと残念に思う。(ここでのサポートは社会的政策に基づく実務レベルなものは意味しない。あくまで意識レベルの話)
僕の師にあたる一人の方が言っていた。
「プロフェッショナルは生まれるのではなく育てるもの」だと
ここに巣食う変化嫌いの空気感はまだまだ根が深く、プロフェッショナルを育てる環境として本当に難しい。
が、故にか変化を受け入れ努力した彼女にはこの先も、働き方はどうあれプロフェッショナルであってほしいと心から願う。
(「古き良き時代」という言葉に感じるどこか自虐的な側面を僕は好きになれない。個人としてはこの言葉は良い思い出・歴史との出会いという意味で使いたいと思っている。)
これはかなり部分的にしか彼女を知らない、ある一方向(僕の立ち位置から)からものを見た、少し乱暴なものの見方だ。当然立ち位置が変われば意見も変わる。いや、ものの見方など本来多角的であるべきだとおもう。
もちろん僕もこう言った側面からのみ見ているわけではない。多くの問題が絡み合っている地方の働き方の問題の一糸を感じただけであって。ご批判もあろうかと思うが、このような側面からものを見るやつもいるのかと流していただきたい。

今年もまた春が来て、自分も、ゲストも新しい環境に変わる。そんな折、経営者として・技術者(美容師)として働き方の是非を考えさせられ、どうやったら次に僕たちに関わってくれる仲間に、プロとしての環境を準備してあげれるものか…考えても考えても答えが見つからないまま…花粉症に身を委ね…頭がボーっとしてきた。
少なくとも今いる仲間に僕はそんな環境の欠片くらいは与えられているのか?
僕自身、まだまだこの怠惰の空気感と戦う術を持ち得ない。自分を守るだけで精一杯だ。
しかし幸せなことに、僕にはこれとともに戦ってくれる仲間が今はいる。この場所ではおそらく稀なケースだ。
(残念ながら同じ職種ではないけれどね)
少しずつみんなと作っていこうとおもう。厳しさと厳しさゆえの優しさが混在した「古き良き時代」を現代に適合できるコミニティParacrafを。
(ParacrafはAreha,lykke,Ulticaで構成する我々デザインチームの総称です)

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